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Posted by 沖田 総司 - 2011.03.02,Wed

 昨夜、天狗さんのところで近藤さんとTERAさんと四人で

話をしてきた。明日、3回目の公判が開かれ、そこには診

断書を書いた医師が証人として出廷する。どのような証言

が出てくるかはまったく判らないが、拙者が理解している

「頚椎捻挫、頭部打撲」というのは、それを医学的に実証

するのは非常に難しいそうだ。明らかに、頸椎が損傷して

いるというのでなければ、医師は患者の口から出る症状か

ら「頸椎捻挫」という診断を下すということもあると聞い

たことがある。


 また、頸椎が微妙にずれていたとしても、その直前に起

こったことが原因であると断定することも難しいという。

天狗さんは、かなり以前に、停車中の車に乗っている時に

追突され、「鞭打ち」(過伸展損傷)と診断されて入院し

ていたことがあるそうだが、その時にはレントゲンに頸椎

の一部が少しずれているのが写っていたという。あの人は、

スキーをしていた人だから、「転倒した時になったのかも

しれない」と言っていた。かなりのスピードを出して滑っ

ていて「空中を舞った」そうだからそれなりのことは起こっ

ても不思議ではないと言っていた。


 しかし、前回の裁判での証言では、加害者は本当に被害

者を布製カバンで殴打したかどうかはっきりしていない。

「振り上げたカバンが落ちるところは見えていない」とい

うのが、二人の証言者で一致している。しかし、こうした

ことで、何故検察は加害者を起訴したのだろうか。冒頭陳

述の全文を読みたいのだが、手に入らないらしい。検察が

起訴した以上、「殴打したのを見た」という証人がいるは

ずなのだが、それがいないのだろうか。それとも、公判で

は「見えなかった」と言っているが、検察庁では「見た」

と言ったのだろうか。「あったことをないとし、なかった

ことをあったとする、それくらいは朝飯前だろう」と天狗

さんが言っていたが、今までの経緯を考えると、あながち

当たっていなくもないように思える。

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Posted by 沖田 総司 - 2011.03.01,Tue


 今日は午後から江戸で評議が行われ、夜は近藤さんと一緒

に天狗さんのところでじっくり話をすることになった。様々

なところから、あの刑事裁判に関する情報が伝わってくるの

だが、その内容が信じられないようなことばかりなので、必

ず裏に何かあるのだろうが、そのことを今夜は天狗さんから

詳しく聞き出すと近藤さんが言っている。拙者は入ったこと

はないのだが、「事件」が起きたあの礼拝堂の中を何回か見

たことのある人物から聞いたのだが、礼拝堂の中の事件が起

きた場所について詳しく教えていただくことが出来た。


 「被害者」が頭を下げていた場所と、証人がそれを見てい

た場所の間には数メートル、あっても5メートル程の距離が

ある。そして「加害者」が立っていたのは、手に持った布製

の鞄を振り下ろしたら、それが「被害者」に当たる距離だっ

たという。だから、「加害者」の行為は確実に視野に入って

いることになる。しかし証人は、「目の左の方で見ていたか

らよく見えなかった」という内容のことを証言した。これは

通常は考えられない。証人が目に何らかの障害が起こってい

て視野狭窄がない限り、この角度が同時に映像として見えな

い距離ではない。しかも、証人はほとんど静止した状態にあっ

たという(立って見ていた)。


 距離が特定できないから、正確には小生が図を描いてみた

範囲では、「被害者」と「加害者」は確実に20度以下の視

野に入る。静止していた(立って見ていた)証人の状況を考

えれば、確実に視野狭窄が起こっているとしか思えない。こ

の視野狭窄は非常に大きな問題で、これが事実であるとすれ

ば、証人はたとえそれが普通自動車免許であったとしても、

それなりのところで正確に検査をして、場合によっては運転

免許証を返納しなければならない。高速道路を時速100km

で走行している時には、ほとんどの人に視野狭窄が起きるが、

静止している状態で、視野が20度以下しかなければ、一般

道を走行することも難しいし、極めて危険なことであると言

わざるを得ない。


 「事件が起こった」当日、京はどんより曇っていたという。

にもかかわらず北向きのドアの、それも外に面していない磨

りガラスがまぶしくて、振り上げた布製カバンが見えなかっ

たと証言した証人もいたという。「被害者」が何故刑事告発

をしたのか、そこに大きな問題が隠れていることはこれで見

えてきている。そして、通常では考えられないような問題で

ある。気象庁のデータでは、あの「事件が起こった」日の午

後は確実に曇になっている。ということは雲量が10ないし

9ということになる。こうした日に、大きな窓があるわけで

もない北側のエントランスルームから、磨りガラス越しに強

い光が入ってくるはずもない。起訴状によれば、あの「事件

が起こった」のは2009年11月16日の「午後3時10

分ころ」だという。太陽は、真西よりもかなり南に寄ったと

ころに沈むから、北向きの壁面に日差しが当たることはない。

Posted by 沖田 総司 - 2011.01.28,Fri

 風来坊さんが書き始めたので、拙者も筆をとることにした。

刑事裁判が行われはじめたので、しばし沈黙していたが、拙

者たち新撰組も公判の傍聴メモを手に入れることが出来たの

で、少し書くことにしたが、そもそも、あの事案を刑事告発

したのは誰だったのか。拙者達が聞いている範囲では、被害

者ではなく、その場に居合わせることもなかった人物だそう

だ。被害者が警察に診断書を持って出掛けたときには、警察

は既に通報を受けていたという。これだけでも十分に奇妙な

ことだと言えるだろう。


 言い換えれば、被害者が自分の意志で被害届を書いたのか、

それとも誰かに被害届を警察に出すように言われて書いたの

か。そして、検察側の証人は、カバンを持った手が上に上げ

られたのは見えたが、殴打されるところは見えなかったと証

言している。にもかかわらず、殴打した音が聞こえたと証言

したそうだ。それも、目を閉じていたわけでも、他の所を見

ていたわけでもない。ドアのガラス部分が明るくて見えなかっ

たのかもしれないと証言したそうだ。


 風来坊さんも書いているが、あそこの礼拝堂の出入り口は

建物の北側にある。しかも、その向こうには週報棚などがお

いてあるスペースがあって、そこから外に出る扉があったは

ずだ。あのスペースには、窓は一つしかなかったように記憶

している。だとしたら、あの礼拝堂入り口のガラス窓から強

い光が入ってくる可能性は少ないだろう。眩しくて見えなかっ

たという証言は信憑性が極めて低い。


 手元にあるメモが間違っていなければ、あの証言は極めて

曖昧なものでしかない。カバンを振り上げたのは見えたが、

それを振り下ろしたところは見えなかったというのが、理解

できない。刑法第169条「法律により宣誓した証人が虚偽

の陳述をしたときは、3月以上10年以下の懲役に処する。」、

第170条「前条の罪を犯した者が、その証言をした事件に

ついて、その裁判が確定する前又は懲戒処分が行われる前に

自白したときは、その刑を減軽し、又は免除することができる。」

Posted by 沖田 総司 - 2010.11.11,Thu


 「日本国憲法第39条『既に無罪となっている行為に

ついては、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪

について、重ねて刑事上の責任を問はれない。』」


日本国憲法第三十九条

 何人も,実行の時に適法であった行為又は既に無罪と

された行為については,刑事上の責任を問はれない。又、

同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。


 前者は「日本聖公会京都教区審判廷2008年第2号 

審判に対する不服申立事件」に対する小審判廷管区小審

判廷の2010年11月8日の審判に引用されている

「憲法39条」の引用とされている部分、後者は日本国

憲法第三十九条の全文です。日本国憲法で「既に無罪と

された行為」が、あの審判書では「既に無罪となってい

る行為」になっています。明らかに、あの審判廷の審判

員は『六法全書』などにある日本国憲法を手元に置かず

にあの審判書を書いたとしか思えません。


 また、ネット上には様々なところに日本国憲法の全文

がアップロードされていますが、それさえも見ていない

ということになります。もちろん、そうしたサイトから

コピー&ペーストしたわけでもないだろうと思われます。

それだけではありません。他の審判員がこれを前もって

読んでいる時にも、この憲法の引用個所に間違いがない

か確認していないということになります。


 また、審判は4通あるのですが、送りがなが付いてい

たり、付いていなかったりしている個所があり、一貫性

がありません。新撰組の中の、こうした文書を解析する

ことに慣れている隊士に読ませたら、この4通は一人の

人物が、時間がなくて慌ててキーボードを叩いたか、手

書きの原稿をそのまま誰かがパソコンで入力しているよ

うに思える」と言っていました。


 日本聖公会は九条の会に賛同している聖職者もいるよ

うだが、憲法の引用を入力ミスしていることが、拙者に

はまったく理解できない。憲法は、送りがなを変えるこ

とさえ、国会の議決を経て、国民投票をしない限り行え

ないことではないでしょうか。また、審判の意味を考え

ると、これから審判員が訂正文を出すこともできません。

日本聖公会管区小審判廷はこのことにどう対処するので

しょう。憲法の条文の誤記を「内容は同じだから」と言っ

て通り過ぎるのだろうか。もしそんなことをしたら、恥

の上塗りになります。


 最高裁判所の上告却下の決定を「上告棄却」と勘違い?

してもいるのですが、主教会は法憲法規を越えられると

いう、マグナカルタ以前のイギリスの情況を再現してい

るようにさえ思えます。マグナカルタ以前の場合は主教

会ではなく、ノルマン王朝なのですが、彼らはノルマン

王朝の成立をどう考えているでしょう。イギリスのウェー

ルズや北アイルランドをどう考えているのでしょう。

Posted by 沖田 総司 - 2010.10.25,Mon



 そもそも教会の信仰はある意味では「狂気」に見える。

近代文明の中で、処女降誕や病人の癒しや復活を信じてい

るのだから、信仰はある意味で「狂気」であることもある

かもしれない。しかし、そうした狂気は極めて冷静かつ論

理性と倫理性を保って継承されている。しかし、今年に入っ

てからの日本聖公会京都教区の行動は、そうした教会の信

仰から出たものではなく、自らの正当性を主張し、自らの

保身を考えてのことでしかないように思える。


 昨日の朝、あるところから転送されてきたメールがある。

近藤さんや土方さんにも届いている。それはブラジル聖公

会の主教からのメッセージで、日本聖公会のメーリングリ

ストとやらで配布されたものだという。内容は、一人の司

祭が逮捕され、拘置されていることに関するもので、早急

に刑事告発を取り下げ、京都教区主教と横浜教区主教及び

首座主教はこの間の事情を説明するようにという要望なの

だが、日本聖公会の主教会はこのことに関してどう考えて

いるのだろう。他の管区に属する一主教の発言に答える必

要はないとでも考えているのだろうか。


 拙者が耳にした噂話だが、「糾す会」や公式代理人のホー

ムページを日本語の分かる人物に読んでもらうようにとい

うメールが外国のかなり広範囲の管区に送られているとの

ことだ。この程度の英文であればいとも簡単にかける人物

は大勢いるだろう。そして、内容が内容だけに、ことの真

実を明らかにしようとするだろう。最近は、かなりの国に

日本人が住んでいる。そうした方々があの二つのサイトを

読んで説明すれば、外国の管区でも問題をかなり正確に知

ることが出来る。ことに、問題の始源は当時は現職だった

司祭による女児への長期間にわたる性的虐待だったという

ことが判れば、その後も情報を集め続けているだろう。


 新撰組は裁判に非常に大きな関心を寄せている。検察側

の証人が、被害者の弁護人からどのような質問をされ、ど

のように受け答えるのか。これは「被害者」に関しても同

じことが言える。そして、裁判は公開で行われるのだから、

マスコミもジャーナリストも傍聴に来るだろう。そして今

度は京都教区主教も傍聴に来なければならないだろうし、

場合によっては弁護側によって証人として出廷を求められ

るかもしれない。拙者が知っている範囲では、出来事が起

こった場所にすぐに近づいてきたようだから、当時の状況

をある程度は記憶しているだろう。その時は、新撰組も傍

聴に出掛けてみたい。あの証言台に立つプレッシャーにど

れだけ京都教区主教が耐えられるかどうか。

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