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Posted by 沖田 総司 - 2010.10.18,Mon


 日本聖公会は自らの教会が崩壊し始めていることに気が

付いているのだろうか。彼らは社会的問題あるいは国家の

根幹に関わる問題に関して発言してきたが、それらは単な

るポーズでしかなかったようだ。教会の内部で起こった出

来事を国家権力に審判を求めた。そして拙者が知る限りで

は、ほとんどの聖職者はその大きな過ちに気が付いていな

いのか、一切沈黙している。


 審判廷が終わった直後に起こった出来事に関して、審判

廷に申し立てることもなく、被害届を警察に提出して告発

した。その人物はかつて、「糾す会」の代表者が書状を届

けに行っただけで、警察に電話をした人物だそうだ。それ

も歴とした日本聖公会の現職の司祭だ。そして、日本聖公

会の京都教区における現職(当時)の司祭の女児に対する

性的虐待裁判(慰謝料請求裁判)で、現場とはまったく異

なる写真を証拠として提出したとされている。その写真を

見たことがある人物からそれを聞いた。(裁判記録が公開

されているから、確認できるだろう)


 教会が国家権力に審判を申し立てるということに、重大

な瑕疵があることに気が付かなかったようなのだが、実に

お粗末なことだと言わざるを得ない。それだけではない。

日本聖公会の他の教区や管区もそのことに関して沈黙して

いるのはどういうことなのだ。告発された人物は日本聖公

会の現職の司祭だということをどう考えているのだろう。

正に、教会の内部に国家権力を招き入れていることにしか

ならないということに、何故、気が付かないのか。そして、

教会は常に、国家権力から独立して存在し続けてきたので

はないのか。でなければ、教会は国家の過ちに関して一切

口を噤まなければならなくなる。


 日本聖公会は、二度とヤスクニ・ヒロシマ・ナガサキ・

オキナワに口を出すな。平和に関する出来事に口を出すな。

お主らのしていることは、かつて、日本の中で財力を獲得

するために明治政府に媚を売り、自らの勢力を蓄え、日本

を海外侵略に向かわせた財閥と同じことをしているのだと

いうことをしっかりと認識して欲しい。聖書にある「カエ

サルのものはカエサルに」という言葉の意味を、誠実に、

かつ弱い人々のことをしっかりと念頭に置いて神学的に考

えて欲しい。ポーズだけのヤスクニ・ヒロシマ・ナガサキ

・オキナワへの関わりは、真剣に闘ってきた人々への冒涜

でしかなくなる。日本聖公会は正常な思考能力までも喪失

してしまったのだろうか。

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Posted by 沖田 総司 - 2010.08.15,Sun


 暑い夏の日だった。1945年の8月15日も暑い日だっ

たと聞いている。日本が外国との戦争で初めて負けた日だ。

焼け野原になった東京で、「玉音放送」を聞いた方もいらっ

しゃるだろう。あれ以来、日本は非武装中立を歩み始めたが

のように教育された世代もいる。しかし、警察予備隊が結局

は「自衛隊」という名の軍になったのも事実だ。ユギオ(朝

鮮戦争)がきっかけだったという。ある意味では当然だろう。

国家が非武装中立でいられるほど、地球上の国々は成長して

いない。むしろ、周辺諸国よりも数倍も数十倍も強力な軍備

を構築することによって、自らの国の威力を誇示し続けてい

る国々が存在している。


 もうしばらく前のことだが、ある軍事大国のトップが日本

の防衛力増強に関して、「これ以上、強固にしないで欲しい。

でないと軍事費が嵩んで仕方がない」という内容のことを思

わず口にしてしまった。そしてすぐにネット上で情報が流れ

たのだが、その情報はいつの間にか消えてしまっていた。あ

の情報が「ガセネタ」だったからではなさそうだ。おそらく

どこかからの圧力が掛かったのだろう。ジャーナリズムでは

よくあることだという。そして、同じことが日本聖公会の中

で起こっている。京都教区で起こっていた女児への性的虐待

に関する裁判のことは、機関誌にはまったく記されていなかっ

たそうだ。それ以前には、沖縄教区での土地の売買に関する

不透明さを明らかにした機関誌の編集長が解雇されたそうだ。

しかし、田中角栄元首相の「日本列島改造論」によって始まっ

た「市街化調整区域」の規制を外すことなど、ほとんど不可

能に近い。沖縄教区はそれを知らなかったのだろうか。


 日本聖公会は何故かこうした重大な事案に関して、情報操

作が瞬時に行われるらしい。そして、京都教区での性的虐待

事案は当の昔に解決していると思っている他教区の信者さん

が多いと聞いている。「騒ぎ立てる人がいる」とか「被害者

のご家族は困っている」とは、嘘の内容が記された文書を、

京都教区の公式文書として発送したりもしている。「それっ

て『大本営発表』と同じじゃない」と言った若者がいたそう

だ。太平洋戦争時の日本の過ちを取り上げて大騒ぎしている

というのに、内部では「大本営発表」を繰り返している。近

いうちに二回目の管区小審判廷が開かれることなど、信者さ

んの多くはまったく知らされていないだろう。それでいなが

ら、ヤスクニ問題に関しては今日も大騒ぎしている聖職者達

がいるのではないのか。


 ヒロシマが何故8月6日だったのか。そして、終戦の詔勅

が何故8月15日だったのか。日本聖公会の聖職者であれば

気が付かないはずはないだろう。それとも、日本聖公会の聖

職者達は、「自分たちは英国国教会の伝統の中にある教会だ

から、連合軍を支持している」とでも言うのだろうか。京都

教区の性的虐待事案には沈黙し続けながら、オキナワに関し

ては積極的に発言してきた問題性を、彼らは何故明らかにし

ようとしないのだろう。もしかすると今日、どこかでヤスク

ニに関して講演している聖職者はいないだろうか。ヒロシマ

・ナガサキあるいは日韓併合については語りながら、日本聖

公会の内部で起こった女児への性的虐待事案に関しては沈黙

し続けていないだろうか。それとも、加害司祭が日本聖公会

を離脱したということを認めて、問題は解決したと思ってい

ないだろうか。

 

 

Posted by 沖田 総司 - 2010.06.25,Fri


 あるところで、日本聖公会の司祭が書いているものを読ん

だが、呆れてものが言えない。太平洋戦争の意味をはき違え

ているとしか思えない。太平洋戦争が何故起こったのか。あ

るいは太平洋戦争を誰が起こしたのか。そして、あの太平洋

戦争で利を得たのは一体誰だったのか。そうしたことをきち

んと分析することもせず、若者を二度と戦争に駆り立てては

ならないようなことが記されているが、日本でもう一度、徴

兵制が施行されることがあり得ると思っているのだろうか。

自衛隊員の数と、自衛隊が保有している銃の数とどちらが多

いか判っているのだろうか。


 あるいは、これから日本が、太平洋戦争のような戦争を起

こす可能性があると思っているのだろうか。たとえば、北朝

鮮に対して攻撃を掛けられるだけの兵器を日本が保有してい

ると思っているのだろうか。北朝鮮が中距離ミサイルを保有

していることは間違いないし、長距離弾道ミサイルを保有し、

それが一定程度の正確性を持っていることも十分に考えられ

るのだが、日本の自衛隊のパトリオットで撃墜できる可能性

があるのかどうか、あの人物は考えたことがあるのだろうか。

太平洋戦争が終結して60年以上が経った。その間に、日本

の国民は、国防ということにまったく無関心にされてしまっ

たことは間違いない。某政党の党首は、イージス艦がインド

洋に派遣することを「海外侵略」と呼んでいたが、イージス

艦の一隻や二隻で海外侵略が出来ると思っているのだろうか。

あの日本聖公会の司祭は、それと同じことを自分が書いてい

るということに気が付いていない。


 いつの頃からか、大学に教員として残るためには、フェミ

ニズムを容認し、観念的な「平和」主義を口にしなければな

らなくなっているようだが、彼らはしかし、日本の社会にお

ける差別に関しては一切、口を噤んでいる。あるいは、日本

聖公会の内部でおこった、当時は現職だった牧師による女児

への長期間にわたる性的虐待に関してもまったく口を噤んで

いるが、一体何故なのか。女性差別に関する事案に関して積

極的に発言してきた人たちでさえ、まったく口を噤んでいる。

そして、口を噤んでいるということは、あの女児への性的虐

待事案に対して、積極的に関わろうとしている人々を攻撃し

ている加害者側の立場を擁護することにしかならないという

ことをまったく理解していないか、あるいは理解したくない

のだろうとしか思えないことがある。


 日本聖公会京都教区は、虚言をもちいて「糾す会」を批判

していたし、和解調停に際してもそうしたことを文書に記し

ていいた。「平和」を口にし、女性差別に関わり、死刑廃止

を唱え続けていたにもかかわらず、性的虐待を受け続けた女

児の人権をまったく無視しているとしか思えないほどに沈黙

しているのは何故なのか。そして彼らは、裁判所で閲覧する

ことが可能な裁判記録を閲覧することもしていない。それと

も彼らは、あの裁判記録に記されている被害者の証言ははす

べて、虚偽だとする根拠があると考えているのだろうか。既

に日本聖公会京都教区だけでなく、日本聖公会自身が破滅へ

の道を歩んでいるとしか思えないのだが、京都教区だけでな

く、日本全国に建てられている日本聖公会の教会の信徒は、

一体どうしたらいいと考えているのだろう。こすいたことを

考えると、万が一、日本が海外から侵略を受けたとき、彼ら

は真っ先に傀儡政権に協力する道を選ぶとしか思えない。そ

うした時代は来ないと誰も断言できないことは、最近の国際

情勢を見ていれば、これも誰の目からみても間違いないこと

なのだが、自分たちの立場が守れれば、教会の信徒や、性的

虐待で現在もPTSDに苦しんでいる被害者がどうなろうと

関係はないと考えているとしか思えない。

 

Posted by 沖田 総司 - 2010.05.13,Thu


 日本聖公会京都教区は自滅したようだ。裁判所での調停を

申請していたのだが、それを取り下げることはしなかったよ

うだ。天狗さんは何回も電話を架けているそうだが、連絡が

付いていないそうだ。それにしても、前代未聞だろう。キリ

スト教界全体を揺るがすほどの大きな過ちを日本聖公会京都

教区は犯してしまった。ただ、さすがにイギリス国教会の系

列にある教会だと思わされるのだが、協会の内部で起こって

いる対立の和解を、裁判所に調停申請してしまった。そして、

それが今日行われてしまったようだ。


 ある人が、「聖公会は『神学がない』のではなく、神学を

真剣に学ぼうとしていない」といっていたのを思い出した。

「現職の聖職者に、『ローマ・カトリック教会とギリシア正

教会の三位一体論の相異は何か』という試験問題を出したら、

即答できる聖職者はごく僅かしかいないだろう」と言ってい

た。「中には、『日本聖公会はイギリス国教会だから、ロー

マ・カトリック教会やギリシア正教会とは関係ないし、聖公

会には聖公会の三位一体論があるのですが、詳しいことは、

○○司祭がよく勉強しているので、あの方に尋ねて下さい』

という返事が返ってくるだろう」とも言っていた。


 だから、近藤さんが書いたことを、日本聖公会の聖職者の

何人が理解できたか、非常に大きな疑問を持たざるを得ない。

それでいて、日本聖公会の多くの教会の看板には、「英国聖

公会」ないし「英国国教会」という文字が出ている。しかし、

日本聖公会京都教区で起きた、当時は現職の牧師だった司祭

による女児への性的虐待事案がイギリス国教会で起きた時に、

教会と被害者やそのご家族との和解について、イギリス国教

会はイギリスの裁判所に和解調停を申請するだろうか。拙者

の考えでは、もしそんなことをしたら、イギリスの新聞やテ

レビのニュースはトップでそれを報道するだろう。そして、

世界中に広がっている、キリスト教会による平和への働きか

けや、あるいは飢餓に苦しんでいる人々と共に生きようとし

ているキリスト教会から、猛烈な非難を浴びることは間違い

ないだろう。


 ドイツに、ボンヘッファーという牧師がいた。ナチに捕ま

り処刑された。反ナチのメッセージを語り続けたからなのだ

が、現在でも、フィリピンで聖公会の司祭が殺されていると

いうことを天狗さんから聞いた。フィリピンの少数民族の教

会の牧師だったそうだ。フィリピンでは、少数民族が今でも

軍隊によって圧迫され続けている。政府によって土地を取り

上げられてしまった。そして政府はそこに外資系企業の工場

用地を造成し、少数民族の人々をも雇用すると言っていなが

ら、実際にはインドネシア系の安い労働力が入り込んでくる

のを政府は阻止しなかった。こうした中で、聖公会の司祭が

銃によって殺戮されたことを、日本聖公会の聖職者の何人が

知っているだろう。日本聖公会が彼らを支援しているという

ことを聞いたことがない。さすがに、裁判所に和解調停を申

請してしまっただけのことはある。あのフィリピンでの困難

な問題に取り組んでいたNCCの議長が更迭され、その後に

議長になったのは、なんと日本聖公会の司祭だという。日本

聖公会は見た目には立派な教会が大都市に建てられているが、

しかし、ゴルゴタへの道を十字架を背負って歩かれるキリス

トと同じ道を、十字架を背負って歩もうとする気力など、最

早、まったく持ち合わせていないのかもしれない。


 

Posted by 沖田 総司 - 2010.04.28,Wed


 近藤さんから、ブログに書き込みをしたから読めとメール

が届いたから、一通り読んだのだが、「調停申請」のことを

書いてもいいのかどうか電話したら、既に日本聖公会の一斉

メールとやらで公開されているとのことだった。それにして

も日本聖公会は何を考えているのだ。近藤さんが書いている

ように、司牧者と信徒の和解調停を、何故、裁判所に申請し

たのか。夫婦喧嘩の調停を裁判所でしてもらうのとは、根本

的に意味が異なるだろう。本来であれは、管区に申し出ると

か、主教会に申し出るとか、いくらでも方法はあったはずだ。

それを裁判所に申請したということは、管区や主教会には、

全体の司牧権がないということを主張することにしかならな

いだろう。


 しかし、主教会も、裁判所への「調停申請」に対して異議

を唱えていないようだから、結局のところ、日本聖公会の主

教会は、あの裁判所への「調停申請」を認めたことになるの

だが、日本聖公会の主教会はそれでいいと考えているのだろ

うか。それとも、今後、日本聖公会京都教区の主教や退職主

教が管区の小審判廷に審判の申立が出される前に、和解して

おこうとしているのだろうか。被害者やその家族と和解した

のだから、小審判廷に審判を申し立てられるはずがないとで

も考えたのだろうか。だとしたら、日本聖公会は京都教区だ

けでなく、日本聖公会自体が教会と国家に関する神学的営為

がまったく為されていないことになる。ある人が言っていた

が、「都合のいい時はイギリス国教会とのつながりを主張し

ていながら、都合が悪くなるとイギリス国教会とは互いに独

立した教会であると言っている」ということになりはしない

だろうか。


 それにしても、日本聖公会にはまともな神学者はいないの

だろうか。それとも、神学者を黙らせる「権威」が蔭で蠢い

ているのだろうか。だとしたら、日本聖公会というキリスト

教の教団は、かなり恐ろしい集団だということになる。カル

トなどというものではない。自由も人権もすべて、主教とい

う人々の前では塵芥以下のものでしかなくなる。それだけで

はない。自分たちを正当化するために、性的虐待の被害者さ

えも踏み台にしようとしているように見える。彼らは、ゴル

ゴタの丘の上で、ローマの官憲の脇に立って、十字架に掛か

り給うた主イエス・キリストを、笑みを浮かべながら見てい

ることになる。そして、それに気が付いた聖職者を黙らせよ

うと躍起になっているように見えるのは、拙者だけだろうか。


 当時は現職の教会付き司祭(牧師)だった人物が、とんで

もない暗示を女児にかけて性的虐待を行っていたという事実

を主教会はどう考えているのであろうか。それとも、最高裁

判所が上告却下を決定して確定した高等裁判所の判決自体を

認めようとしていないのだろうか。あの裁判を、日本聖公会

京都教区の主教は傍聴していない。教会の裁判ではないから

だった訳ではないことは、京都教区主教自身が裁判所に被害

者との調停申請をしたことからも判るのだが、しかし、何故

主教会は沈黙し続けるのだろう。それが不思議でならない。

何らかの重大な理由がない限り、信徒が聖職者の性的虐待の

被害者になっていたのだから、沈黙すべきではないはずなの

だが、主教会が動いたという情報はまだ聞こえてこない。

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