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Posted by 沖田 総司 - 2010.04.28,Wed


 近藤さんから、ブログに書き込みをしたから読めとメール

が届いたから、一通り読んだのだが、「調停申請」のことを

書いてもいいのかどうか電話したら、既に日本聖公会の一斉

メールとやらで公開されているとのことだった。それにして

も日本聖公会は何を考えているのだ。近藤さんが書いている

ように、司牧者と信徒の和解調停を、何故、裁判所に申請し

たのか。夫婦喧嘩の調停を裁判所でしてもらうのとは、根本

的に意味が異なるだろう。本来であれは、管区に申し出ると

か、主教会に申し出るとか、いくらでも方法はあったはずだ。

それを裁判所に申請したということは、管区や主教会には、

全体の司牧権がないということを主張することにしかならな

いだろう。


 しかし、主教会も、裁判所への「調停申請」に対して異議

を唱えていないようだから、結局のところ、日本聖公会の主

教会は、あの裁判所への「調停申請」を認めたことになるの

だが、日本聖公会の主教会はそれでいいと考えているのだろ

うか。それとも、今後、日本聖公会京都教区の主教や退職主

教が管区の小審判廷に審判の申立が出される前に、和解して

おこうとしているのだろうか。被害者やその家族と和解した

のだから、小審判廷に審判を申し立てられるはずがないとで

も考えたのだろうか。だとしたら、日本聖公会は京都教区だ

けでなく、日本聖公会自体が教会と国家に関する神学的営為

がまったく為されていないことになる。ある人が言っていた

が、「都合のいい時はイギリス国教会とのつながりを主張し

ていながら、都合が悪くなるとイギリス国教会とは互いに独

立した教会であると言っている」ということになりはしない

だろうか。


 それにしても、日本聖公会にはまともな神学者はいないの

だろうか。それとも、神学者を黙らせる「権威」が蔭で蠢い

ているのだろうか。だとしたら、日本聖公会というキリスト

教の教団は、かなり恐ろしい集団だということになる。カル

トなどというものではない。自由も人権もすべて、主教とい

う人々の前では塵芥以下のものでしかなくなる。それだけで

はない。自分たちを正当化するために、性的虐待の被害者さ

えも踏み台にしようとしているように見える。彼らは、ゴル

ゴタの丘の上で、ローマの官憲の脇に立って、十字架に掛か

り給うた主イエス・キリストを、笑みを浮かべながら見てい

ることになる。そして、それに気が付いた聖職者を黙らせよ

うと躍起になっているように見えるのは、拙者だけだろうか。


 当時は現職の教会付き司祭(牧師)だった人物が、とんで

もない暗示を女児にかけて性的虐待を行っていたという事実

を主教会はどう考えているのであろうか。それとも、最高裁

判所が上告却下を決定して確定した高等裁判所の判決自体を

認めようとしていないのだろうか。あの裁判を、日本聖公会

京都教区の主教は傍聴していない。教会の裁判ではないから

だった訳ではないことは、京都教区主教自身が裁判所に被害

者との調停申請をしたことからも判るのだが、しかし、何故

主教会は沈黙し続けるのだろう。それが不思議でならない。

何らかの重大な理由がない限り、信徒が聖職者の性的虐待の

被害者になっていたのだから、沈黙すべきではないはずなの

だが、主教会が動いたという情報はまだ聞こえてこない。

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