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Posted by 沖田 総司 - 2009.12.30,Wed


 少し前に、京都駅で近藤さんとばったり会った。江戸へ

行っていたそうだが、天狗さんや風来坊さんにも会ったそ

うで、その時のことをいろいろ話を聞きたかったので、屯

所の近くの居酒屋で一杯飲みながら、話をしてきた。そし

て、あるメールに添付されていた文書に関して、近藤さん

から話を聞き、これまで読み落としていたので、その添付

ファイルの文書を読んでみた、


 ローマ・カトリック教会はもっと厳重に、そして正式に

抗議すべきではないのだろうか。女性主教が司式したこと

だけではなく、あの女性主教は同性愛に賛成の立場をとっ

ている主教だ。日本聖公会は、宣教150年の礼拝を計画

し、その場所としてローマ・カトリック教会の聖堂を借り

たそうだが、その貸借の手続きがおこなわれた時に、

 1.女性主教が司式すること

 2.この女性主教は同性愛を認めていること

をローマ・カトリック教会に正式に伝えたのだろうか。


 もし伝えた上で使用許可を得たとすれば、ローマ・カト

リック教会にも問題があることになってしまう。一般社会

で同性愛者が人権を擁護されなければならないのは、近代

国家として当然のことなのだが、教会の中でそれを認める

ということは、神学的に大問題であることは言うまでもな

いだろう。日本のローマ・カトリック教会の問題で、巡察

師が正式にローマから派遣されることになったらしいが、

問題はこのことではないようなのが残念だ。そもそも女性

が司祭按手を受けるということ自体、極めて大きな神学的

問題がある。”ディアコノス”には女性形があるが、”プ

レスブテロス”に女性形はない。


 日本のプロテスタント教会の中には、現在も女性が牧師

になることを認めていない教派がある。日本聖公会はこれ

までの伝統を崩して、女性司祭を按手しているが、その時

に「主教はまだだな」という声が聞こえてきたということ

を聞いたことがある。どういう意味で「主教はまだだな」

といったのか判らないが、”アポストロス”にも女性形が

ないことを知っているのだろうか。つまり、「まだまだ」

という表現には、これから先に女性に対する主教按手が行

われる可能性があるということなのだろう。


 と同時に、同性愛者が聖職になったということ自体にも

大きな問題がある。聖書は一貫して同性愛を禁じている。

ソドムやゴモラが神によって破壊されたのは、その典型的

な事例だと考えられている。同性愛者の人権を口実にして、

聖書までもをアメリカ聖公会の一部の教会は聖書を捨てた

のだろう。そして、日本聖公会もそれに倣っているのだろ

うか。かなり以前だそうだが、アメリカ聖公会から同性愛

者であることを公言している女性主教が来日して、日本聖

公会の神学校で聖餐式を司式したことを近藤さんから聞い

たが、日本聖公会は狂っているとしかいいようがない。そ

して、同性愛と性同一性障害を混同しているように見える

ことさえある。彼らの行動は、断末魔の叫びなのだろうか。

 

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