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Posted by 沖田 総司 - 2008.03.07,Fri

 

 いまだに「格が上」とか「由緒正しい」とかいう言葉が使われて

いることがある。日本の社会は面白いもので、国民全員に「一列に

並べ!」と号令をかけたら、何年かかっても一列に並ぶことは出来

ないだろうが、「イエの格順に並べ」と号令をかけたら今でも並べ

そうだ。もうかなり以前に「タテ社会の人間関係」という本を書い

た女史がいるが、日本人の心性を深く剔っている本のように拙者に

は思える。そして、日本の社会には、いまだにあの「タテ社会」を

維持していようとする心性が一人々々に宿っているからのように見

える。日本聖公会の教会は、外から観察しているとしっかりとそれ

が見えてくる。主教制だからではない。あるいは独特の聖職者制度

があるからでもない。極めて日本的な発想がそこにあるからだ。日

本のプロ野球の世界では、年功序列、それも徹底した年齢序列制度

で維持されていると書かれていた本を読んだことがある。もとプロ

野球の選手が書いたものなので、あながち間違いでもなさそうだ。

前年の成績や、その時の成績でもない、単に誕生年月日がいつかと

いう正に年齢序列なのだが、基準がその誕生年月日ということが一

つしかないから、実にうまく機能しているらしい。最近でもこれは

変わっていないと聞いた。そして、これに近いものが日本聖公会の

中にあるように思える。ただし、基準は年齢ではない。まず、主教

・司祭・執事の「格」の相異である。あの原田文雄司祭が「執事に

昇格」「司祭に昇格」と書いていたというが、彼らの中にはこれが

基本的に残っている。しかし、これに付随している基準が「按手」

である。いつ「司祭按手」を受けたかということであり、これは年

齢とはまったく関係がない。


 そして、原田文雄司祭が「昇格」という言葉を使っているように、

これが日本聖公会の中で確実に機能しているのだが、これが極めて

日本的なものであって、何ら聖書的なものではないということに日

本聖公会のほとんどの聖職は気がついていない。だから、様々なと

ころで様々なヒトやコトあるいはモノに格付けをしている。礼拝で

使う香についてさえ、「イギリスから輸入されたものだ」と自慢げ

に話をしていた司祭がいた。そしてこのことを別の司祭に話をする

と、「自分は礼拝で香を焚くことはないからあまり関心がない」と

いう答えしか返ってこなかった。聖公会では、礼拝で香を使うか使

わないかに関する規定はないから(一部では不文律があるかもしれ

ないが日本聖公会はそうした不文律を法憲法規では認めていない)、

香に対する関心が薄いのかもしれないが、この発想の裏にある大き

な問題性に気がついていないようだ。実に興味深いことだが、ある

司祭はラーメンの味に関しても、ある店のラーメンの味を激しく貶

していたことがある。そして彼らは、「使徒継承」ということを時

として自慢げに話をする。そこまでならまだ笑って過ごせるのだが、

彼らの中には「使徒継承」ということを、確実な史実として考えて

いるのがいる。そして、按手と同時に、様々な人間的な能力が増し

加えられるかのように考えていることがある。


 こうした日本聖公会が、ヒトに対しても格付けをするのは当然だ

ろう。六人の被害者のうち四人への加害行為に関しては原田文雄司

祭に認めさせ、残りの二人に関しては「事実無根」を主張する原田

司祭を徹底的に糾弾することもなく、すごすごと帰ってきてしまっ

たのは、犯罪行為の被害者に対しても格付けをしているということ

にしかならないということが判っていないからだろう。また、拙者

が漏れ聞いたところでは、横浜教区出身の武藤主教に対して、かな

り強行に「事実無根」を主張した原田文雄司祭の中には、京都教区

出身者であるかどうかということの「格付け」があって、横浜教区

出身の武藤主教に対して、ある種の攻撃性があったようにも京都市

中で囁かれている。そして、高地主教の中には、確実に「主教無謬」

説が根付いている。でなければ、最高裁の上告却下以後の言動を説

明することが出来ない。昨年の1月29日付けの公式文書にある、

いくつかのウソを説明することが出来ない。あれだけのウソを並べ

ることは、「主教無謬」説でも保持していなければ、尋常な思考で

は出来ないことだ。


 京都教区の性的虐待事件とそれに対する京都教区の対応について、

他の教区の多くの司祭が沈黙している理由は、このあたりにあるの

かもしれない。それでも、「糾す会」に対して励ましのメールが届

いているということも聞いている。いつの頃から極めて日本的なも

のに変わってしまった「主教制」が、極めて日本的なタテ社会を作

り出し、犯罪の被害者に対しても格付けが行われている現実を、し

かし、日本聖公会の聖職者達は危機感をもって、何故、真剣にその

問題性を解決しようとしないのか。沖縄の事件には積極的に発言し

ているにもかかわらず、京都教区で現職牧師の性的虐待行為による

PTSDに苦しんでいる姉妹を何故、全力で助けようとしないのか。

「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の

中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からお

が屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸

太があるではないか。」(マタイ7:3-4)という聖書の御言葉

が聞こえていないのだろうか。そして、あの御言葉の後には次の言

葉が続いている。

 「偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっ

きり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことがで

きる。」

 聖書の御言葉に反する伝統を、聖公会は破棄したはずではないのか。

 

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