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Posted by 沖田 総司 - 2008.03.10,Mon


 「貧困の神学」であれば大いに関心があるが、「神学の貧困」で

は話にならん。鞍馬天狗さんのブログを読んで唖然とした。日本聖

公会はあまりにもお粗末だ。注解書のことも、インストラクターの

ことでも、何でも聖公会が一番だと思いこんでいる司祭がいかに多

いかということがはっきりしている。


 そう言えば「ノーベル賞を狙う男」というブログにすごいことが

書かれていた。ホットケーキと紅茶で聖餐式をしたそうだが、単な

る遊び心でしたのだろう。映画のシーンでもミサが出てくることが

ある。別に司祭が司式しているわけではなく、俳優が演技としてし

ているのだから、大した問題ではない。そして、あのホットケーキ

と紅茶では聖餐式にはならないだろうし、そこに聖餐式であるとい

うインテンションがあったわけでもないだろう。ただ、問題はどう

いう式文を使い、どういう聖別祷をしたかということは大きな問題

だ。日本聖公会の祈祷書の中の「パン」「杯」というところを「ホッ

トケーキ」「カップ」と置き換えたのだろうが、この置き換えて祈

るということを司祭がやったのだとしたら、司祭としての品格が問

われる。ただし、問題はそこに止まらない。


 「パロディ」という言葉があるが、パロディ自体は何ら問題がな

い。しかし、聖餐式を司祭がパロディとして行ったのだとすれば、

そこには極めて重大な問題がある。聖餐式はミサの翻訳語だろうが、

何故司祭がミサをパロディに出来るのか。この「出来るのか」とい

うのは、それをすることの可能かどうかが問題なのではない。司祭

にとって一番大事な任務はミサを挙げることだろう。サクラメント

であるその重大な任務を、司祭自身がパロディにしたということは、

司祭職を冒涜しているとしか思えない。映画やドラマの中で、司祭

がミサをするのとはまったく異なる。結婚式場などで宣伝用のビデ

オ撮影をする時に、司祭や牧師に司式者になってもらうことがある。

素人が司式者を演じたらまったく雰囲気が変わってしまうからだが、

あれには、インテンションはまったくない。だから、結婚の宣言を

したとしても、何ら問題にはならない。しかも、結婚式のパロディ

でもない。


 そしてここには、それ以上に重大な問題があると思われる。それ

は、このホットケーキと紅茶で聖餐式のパロディをした司祭に対し

て、主教は何の処分も下していないということだ。日本聖公会にとっ

てミサは、どうでもいいものなのか。そうではないだろう。「綱憲」

の中でミサはサクラメントだとはっきりと宣言されている。信徒が

面白がって、ホットケーキと紅茶でミサの式文を勝手に改編して遊

んだのと、司祭がそれをしたのとでは意味がまったく異なる。日本

聖公会は、ミサの神学があるのか。この極めて重大な神学的問題を

何故、日本聖公会の主教会は日本聖公会全体の問題として考えなかっ

たのか。これほどまでに教会にとって重大な問題をも隠蔽している

日本聖公会に、現職司祭による女児への性的虐待を問題に出来ない

のは当然かもしれないが、もしそうであれば、日本聖公会はキリス

ト教会として一から出直した方がいいし、まして「聖公会はプロテ

スタントの雄」などと口にしない方がいい。ミサに関しては、歴史

上の教会は、緊急洗礼のような規定を持った時代があったというこ

とを拙者は聞いたことがない。

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