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Posted by 沖田 総司 - 2008.07.10,Thu

 

 恐ろしいことだ。日本聖公会京都教区で起こった女児に

対する性的虐待、それも当時は現職の司祭による小学生の

女児に対する性的虐待行為に関して、日本聖公会法憲法規

に規定された審判廷申し立てが司祭や信徒から起こされて

しまった。今日の昼過ぎのことだったという。


 日本聖公会京都教区はこうした動きを察知していたのだ

ろうか。あのアエラという雑誌でも報道されてしまった、

現職司祭による前代未聞の女児に対する性的虐待行為だ。

それも、少なくとも7年間にわたって行われていると言う

が、自分が手に入れた「裁判記録閲覧メモ」では、足掛け

9年間続いているように書かれている。


 それも、自分が聖職者であることを知っている相手に対

して、精神的呪縛をかけて、様々な性的虐待行為を続けて

いたことは、確定した高裁判決でも明らかにされている。

そして、「謝罪の記者会見」を開いて、あの司祭による性

的虐待行為は間違いなくあったということを日本聖公会京

都教区は認めているにも関わらず、6人の被害者の内、4

人に対してはあの司祭に対して謝罪文を書かせておきなが

ら、司祭が否認を続けている2人に対してはいまだに謝罪

が行われていないことを無視し続けている。


 確かに、被害者の家族は代理人を通して、「加害者本人

との問題は終わったので、和解の障害にはなっていません。

加害者については、教区にも何も求めていません。

京都教区が加害者に謝罪を促すのは止めてもらいました。」

と考えていると、代理人のホームページに記されている。

この代理人は公証人役場で正式に代理人契約を結んだ、正

式な代理人であるにも関わらず、日本聖公会京都教区はそ

れをまったく無視しているように見える。風の噂に聞こえ

てきたことだが、「日本聖公会には刑法など関係ない」と

まで言っている聖職者がいるらしいが、もしそれが本当で

あれば、大変な問題だ。まさしくカルトそのものだろう。

 

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Posted by 沖田 総司 - 2008.06.10,Tue


 このところいくつかの重要な情報が入ってきているが、そ

の中でも、退職金の返還要求に関することは実に不可解なこ

とが多い。学校法人聖光学園の現在の理事長は、退職金返還

をH司祭に要求したというのだが、これは理事会が決定した

ことなのか、それとも理事長だけの判断でそれをしたのか、

そのことがはっきりしていないという。H司祭が理事長の時

に園長としてのH司祭に退職金を支給するということを決定

したのは理事会のようだが、その理事会記録には、それぞれ

の理事の署名が記されておらず、押印された印影も理事のも

のであるか判らないくらい、一般に市販されているものに近

いらしい。


 これらの情報は、隊士が仕入れてきた未確認情報なので、

確実に事実だとは言えないが、もし仮にそれが事実だとした

ら、日本聖公会はこうした手続き上の常識をまったく無視し

ているとしか言えないだろう。学校法人の理事会議事録に署

名捺印するのは、理事本人でなければならないはずなのだが

それがワープロで印字してあるのだとしたら、その理事会議

事録は有効なのだろうか。こうしたことを知ると、理事会は

本当に開かれていたのかさえ疑いたくなる。それとも、理事

会を開いても、綿密な検証と議論をせずに、理事長の提案通

りにすべてを決してしまうのだろうか。もしそうだとしたら、

理事会というのは何のための理事会なのか。


 いままで、外から日本聖公会を見てきていたが、こうして

大きな問題を議論するに当たり、様々な情報を集めると、日

本聖公会は中世的封建社会にあった教会制度と信仰を保持し

続けてきているように見える。主教に絶対的な権威を保たせ、

それに従うことを司祭按手式で誓約させている。そこまでな

らば理解できないことはないが、その中で主教の横暴を防ぐ

ために決めたという審判廷の規定も、主教が無視すればその

まま、主教の権威によって事が進められてしまう。女児に対

する性的虐待という罪を犯した司祭を懲戒することなく、

学校法人から報奨金付きの退職金を支給させてしまった。確

かに、裁判は高裁で係争中だったが、その退職金の決定は高

裁判決が出る一ヶ月前、その司祭自身が理事長の時に決定し

たものだ。日本聖公会はいつから治外法権を得たのだろう。

Posted by 沖田 総司 - 2008.05.22,Thu

 

 日本聖公会は既に神学的に崩壊している。前から不思議に

思っていたのだが、聖公会神学院にしても、ウイリアムス神

学館にしても、修業年限は3年でしかない。そして、神学の

基礎的な授業がほとんど行われていないから、神学思想史の

講義をきちんと受けることが出来ていない。これは、聖公会

の神学思想史ではなく、世界の神学思想史なのだが、彼らは

日本聖公会の神学だけを学ぼうとしているし、それで十分だ

と思いこんでいるように見える。だから、ローマ・カトリッ

ク教会との合同ミサに関しても、その名称はあくまでも「聖

餐式」でしかないし、いまだにあのパンとワインの形質は何

かという議論をし、「リベラル」と呼ばれている聖職達は、

何が何でも「象徴」だとしなければ気が済まないようだ。


 そもそも、聖公会の神学に影響を与えたのはオランダ経由

でイングランドに入ってきた改革派系の神学なのだろうが、

クランマーなどはその影響を受けているのではないのか。確

かにクランマーはドイツでルターの影響を受けているではあ

ろうが、末端の主教や司祭は、オランダ経由の改革派の影響

を受けていたように見える。ことにツヴィングリの聖餐論が

ローチャーチに見られるように思えるが、ツヴィングリの聖

餐論のどこが聖書からの演繹なのか理解に苦しむ拙者にとっ

ては、聖公会が聖餐論において無秩序であることの原因が見

えて来て仕方がない。


 ところが、この聖餐論において無秩序な状況を厳然として

存在しているにもかかわらず、日本聖公会の中の自称「神学

者」は、自分たちの中に確固とした聖餐論があると思い続け

ている。それも、歴史的で正統的な聖餐論だと考えている。

嘘だと思う人がいたら、同じ教区に所属している複数の司祭

達に聖餐論を尋ねてみるといい。どういう答えが返ってくる

か楽しみだ。中には、『39ヶ条』というイギリス聖公会の

基本条項を出してくる人々がいるだろうが、日本聖公会はあ

の『39ヶ条』を批准していない。あの『39ヶ条』の原文

が書斎にある司祭が何人いるだろうか。あるいは、ルター、

カルヴァン、ツヴィングリの聖餐論を読んだことのある司祭

が何割いるだろうか。それでいて、多くの司祭は聖公会の教

会の優位性を自認し、聖公会はローマ・カトリック教会とプ

ロテスタント教会の「ブリッジ・チャーチ」だと言う。


 鞍馬天狗が博士論文で実に興味深いことを書いていた。そ

れは、「私を記念してこのように行いなさい」という聖餐に

関するキリストの繰り返し命令において、「私を記念して」

というのは、J.エレミアスの『イエスの聖餐の言葉』に記

されているように、人間が十字架の贖罪を想い出すためでも、

「交わりの食事」でもなく、「神が想い出すため」=「神に

想い出していただくため」に行われるべき犠牲祭儀の繰り返

し命令であり、同時に1世紀には既に異文化に伝わっていた

聖餐の意義の共通理解であり、それが礼拝の出発点であると

いう見解である。そして、使徒言行録にある「パン裂き」は、

ワインをワインとして保存することが極めて困難な時代にお

ける、パンだけのミサであったのであろうというエレミアス

の主張を、「発酵」のメカニズムから支持している。事実、

聖書辞典の中には、あの過越の祭で使われていたワインは、

3倍から5倍に水で希釈されたものであろうと考えているも

のがある。


 日本聖公会は、根本から神学的営為を見直した方がいい。

それは、日本聖公会の神学を構築すると言うことではなく、

按手を受けた後も神学し続ける司祭の継続教育であり、それ

を履修しないと、教会の牧師として、あるいはキリスト教学

科の教員になれないということを意味する。確かにこれは、

日本聖公会に限ったことではない。日本の多くのプロテスタ

ント教会が背負っている課題なのだが、日本聖公会はある意

味で、実に悲惨な様相を呈しているように見える。あのH司

祭は、ウイリアムス神学館の教授を一旦退職した後、すぐに

また復職していたそうだが、拙者が知る範囲では、H司祭は

「説教学」に関するまとまった論文を一度も発表したことが

ないらしい。説教学は、ある意味で神学の中で一番難しい科

目であり、拙者はこの講義がきちんと出来る教師を数名しか

知らない。そして、説教学は、決して「リベラル・アーツ」

ではなく、永遠に「テオロギー」でなければならない。

Posted by 沖田 総司 - 2008.05.14,Wed

 

 H司祭の女性に対する性的虐待事件に関して、日本聖公会

京都教区は気付いていなかったのか。日本聖公会京都教区に

は神学生時代にセクハラもしくはパワハラを受けていたとい

う女性聖職がいたと昨日、耳にした。そのことは当然、京都

教区の主教や司祭や聖職候補生は知っていたと思われるのだ

が、H司祭の性的虐待行為に関して、本当に誰も気が付いて

いなかったのだろうか。


 こうしたことに関しては、日常的な場面で耳にすることは

少ないが、何かの折りに耳に入って来ていなかったのだろう

か。「糾す会」などの方々がビラ配りを続けていらっしゃる

が、その中でH司祭による幼稚園教諭に対するあってはなら

ない性的虐待行為が巷に広がっていることが報告されている。

巷の噂は、一人から耳にしたら、少なくとも100人は知っ

ていると考えるのが普通だ。酒場などでの噂であれば、信徒

の誰かが耳にし、それを教会で牧師にそっと話をしていたの

ではないのか。あるいは、他の幼稚園教諭は皆、真相を知っ

ていたのではないのか。


 にもかかわらず、H司祭を指導監督すべき立場にあるK主

教がそれを怠っていたとすれば、K主教にも社会的道義的責

任があるのは当然であるし、それが犯罪行為であれば、K主

教には犯人隠匿罪があると考えられなくもない。かなり以前

にあった、種谷裁判で宗教専従者の特別な立場が法的に認め

られているが、しかし、それが長期間になれば、法的に問題

になるのではないだろうか。園長への退職金支給に関して、

H司祭自身が理事長兼園長である理事会において決定されて

おり、その理事会記録に関して、S幼稚園の監事である某氏

は次のように証言していると、転送されてきた「糾す会」の

メールに記されている。

 「議事録に退職金金額の明記がないばかりか、あわててパ

ソコンでコピー貼り付けをしたような意味不明な記載が存在

し、議事録に各理事の『署名押印』が寄付行為第18条で定

められているにもかかわらず、パソコンで作成した記名のみ

であり、押印には不可解な点がある。」


 この「不可解な点」というのが何であるのか判らないが、

少なくとも理事会記録に退職金の金額が明記されていないと

いうのは、重大な問題である。この問題性について、S幼稚

園と密接な関係にあり、司祭である理事長兼園長にとっての

主教であるK主教自身、S幼稚園の理事であるのだが、何故

こうした問題に関しても、K主教は沈黙しているのか。ここ

まで日本の社会的ルールを無視しているのであれば、最早、

日本聖公会京都教区はカルト集団であると言わざるを得ない

だろう。


 日本という国家の法秩序を無視した行為が行われているの

が、ここまで明らかになっているのであれば、司直の手が入

らない限り、日本聖公会京都教区を是正することは出来ない

ようにも思える。しかし、そうなる前に、日本聖公会の管区

や主教会が是正すべきであるのだが、首座主教は「大主教」

ではないから、この問題に関して口を出せないとでも考えて

いるのだろうか。もしそうだとしたら、日本聖公会は自らの

中にあるにあるカルト性を排除できないことになってしまっ

ていると言わざるを得ない。

Posted by 沖田 総司 - 2008.05.01,Thu

 

 昨日、いくつかのブログに思考が停止してしまうようなこと

が記されていた。その内容は、教会として考えられないような

ことなのだが、日本聖公会京都教区はそれに気が付いているだ

ろうか。坂本龍馬師と糾す会は別のところでそれを耳にしたよ

うだが、日本聖公会京都教区はこうしたことが市中に噂として

流布していることを知っていたのだろうか。


 少し前だったが、あのブログにS幼稚園を退職した教諭の在

職年数が記されていた。それも1992年~2003年のもの

なのだが、この期間の園長は間違いなくH司祭である。この中

には、在職年数1年で退職した教諭が5人いる。そして、中に

は2年6ヶ月という半端な期間が載っている教諭の例もある。

そして翌年、19年あるいは11年も在職したベテランの教諭

が同じ年に退職している。


 日本聖公会の管区はこうした経緯をしっかりと調査し、実態

を把握すべきだ。そして、明らかになった実態を京都教区が知っ

ていたかどうかを確かめ、それなりの処分をすべきだろう。た

だ、こうした噂が広まっていれば、一般的な組織であればその

調査委員会が組織され、実態解明を既にしているだろうが、日

本聖公会という組織は本当に変わった集団だ。


 糾す会はこれからもビラを配布するだろうが、おそらくこれ

からも醜態に遭遇するだろう。ブログでは誰も書いていないが、

既に、H司祭の日頃の行状に関してかなりのことがそれぞれの

ブロガーに伝わっている。電子メールは一瞬で多数の人に情報

を提供することが出来る。「この件につきましてこの半年ほど、

Eメールなどの文書によって多数の方に情報を流している人が

ありますが、その中には事実ではないことも多く含まれており、

どうかそのような文書の内容をそのままの形で受け取らないで

いただければと、皆様方に心よりお願い申し上げます。」と、

昨年の1月29日にK主教は日本聖公会の教会と関連団体に文

書を送付したが、「Eメール」に記されていることも、こうし

た文書に記されていることも、その信憑性に差はないことを現

代人の多くはそれを知っている。そして、あの主教文書に書か

れている重大な誤謬に関しても、インターネット上で既に明ら

かにされてしまった。


 そして裁判に勝訴した被害者とそのご家族は、にもかかわら

ず、その後の京都教区の対応の不誠実さ故にいまも苦しんでい

らっしゃることを我々は忘れてはならない。

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