あの日、松本司祭を乗せた車を運転していたのは誰だ。
そして、助手席には誰が座り、後部座席には誰と誰が座っ
っていたのか。そして、松本司祭を和歌山の駅で降ろすこ
とに三人が同意していたのか。原田を擁護せず、被害者を
擁護したことを理由に松本司祭を降ろしたことは明々白々
たることだ。にもかかわらず、「謝罪の記者会見」の後、
何故京都教区は松本司祭を呼び返そうとしていないのか。
あの時の謝罪は一体何だったのか。原田が、性的虐待を
繰り返していたことを認めたから謝罪したのではないのか。
そして、原田を「陪餐停止」にしたのではないのか。だと
したら、被害者を擁護した松本司祭には全く落ち度はない
だろう。落ち度がないどころか、司祭として当然のことを
したということは、聖書を読んだことのある人間であれば、
誰でも理解できることだ。
しかも、あの和歌山駅で松本司祭を降ろしたことに関し
て、古賀は被害者の父親と一緒に松本司祭の所まで謝罪に
出掛けているだろう。あの謝罪は何だったのか。謝れば済
む問題ではない。ある司祭から聞いたと天狗から聞いたが、
松本司祭は家族を京都に残して、一人である町の礼拝堂に
仕えているそうだが、京都教区は正気か。家族を引き離す
ことなど、何故考えたのか。天狗の知り合いがあの町か近
くに住んでいるという話を聞いたことがある。もしそれが
事実であれば、彼奴に一回、あの礼拝堂を見学させに行か
せよう。礼拝堂の見学者を拒否することはないだろう。
京都教区の主教と常置委員は、最早、切腹という名の自
主退職ではなく、梟首という名の終身停職にすべきだ。性
的虐待の被害者を庇った司祭を他教区に追い出し、被害者
に謝罪した振りをしたのだからな。あの謝罪の記者会見が
実は単なる見せかけに過ぎなかったことは、松本司祭を京
都教区に呼び戻さないことでも明らかなことだ。言ってお
くが、松本司祭が記したあの教会への文書の内容が、真実
である可能性が低いことは、新撰組の探索で明らかになっ
ている。京都教区主教と聖職常置委員は梟首だ。
自分たちの思考や習慣や組織は、それが属している国家の
法秩序を超えていると判断した宗教集団を拙者は「カルト」
と呼んでいる。オウム真理教は刑法を無視して「ポア」した。
あるいは地下鉄内でサリンを気化させた。ポアは殺人であっ
たし、サリンを気化させれば周囲の人間が死ぬことは彼らに
も判っていたはずだ。
京都の屯所に投げ文があった。
被害者側代理人が出した「京都教区、高地主教、武藤主教、
古賀司祭に対する要望、その他を通達します」という文書に
対する返書が代理人に出されたそうだが、その中身たるや正
しくカルトそのものだという。内容に関して、詳しくは書か
れていないが、問題点だけを指摘している。発信人は、「京
都教区関係者」になっていた。
まず第一に、代理人が公正証書のある法的に認められた代
理人であるということの意味を、京都教区はまったく認識し
ていないようだという。代理人と被害者関係者とは一体であ
り、この文書の宛先は、被害者関係者でもあるということを
京都教区はまったく認識していないように見えるという。代
理人に対し「貴方」という表現を用いているが、これはその
まま被害者関係者に向けられているのだが、そのことを京都
教区はまったく理解できていないとのこと。
被害者は、京都教区の信徒だ。その信徒に対して現職の牧
師である司祭が、被害者が小学校4年生の時から中学3年生
まで、性的虐待をし続けていたということに対する、京都教
区の責任に関しては、京都教区はそれを微塵も持っていない
と投げ文には記されている。京都の屯所ではこれを単なる悪
戯であるとは考えていない。桂さんと天狗に確かめたが、彼
らは投げ文の主が誰であるか、具体的には教えなかったが、
それが誰であるかを知っていた。
京都教区は考え直せ。平身低頭して代理人に謝罪し、加害
者が属している宗教団体の首脳部として、しっかりとした反
省の念と、被害者に対する謝罪をしなければ、日本聖公会京
都教区の首脳部は、社会的道義的責任というのを徹底的に追
及されることになる。それとも、日本聖公会京都教区は日本
という国家の法秩序を超えていると考えているのか。女児に
対する性的虐待は、悪質な犯罪行為であり、日本聖公会内部
の判断で裁けるようなものではない。
上告却下と上告棄却の相異に関して、なにやら進言しているの
がいるようだが、原田文雄司祭の上告は却下された。一言で言え
ば、「問題にならん」ということだ。民訴法第312条にこうあ
るだろう。「上告は、判決に憲法の解釈の誤りがあることその他
憲法の違反があることを理由とするときに、することができる。」
原田はこれを知らなかったのだろうな。おまけに、高裁の判決に
ははっきりと仮執行宣言が付けられていた。これは、裁判記録を
閲覧した鞍馬天狗に、桂さんを通して確認して貰った。「棄却」
ではなく「却下」であることは、これは鞍馬天狗を通して「糾す
会」に確認して貰った。
つまり、最高裁では一度も審理されていないと言うことだ。根
拠は、民訴法第三百十二条と第三百十六条にある。
第三百十二条
上告は、判決に憲法の解釈の誤りがあることその他憲法の違反が
あることを理由とするときに、することができる。
上告は、次に掲げる事由があることを理由とするときも、するこ
とができる。ただし、第四号に掲げる事由については、第三十四条
第二項(第五十九条において準用する場合を含む。)の規定による
追認があったときは、この限りでない。
一 法律に従って判決裁判所を構成しなかったこと。
二 法律により判決に関与することができない裁判官が判決に関
与したこと。
三 専属管轄に関する規定に違反したこと(第六条第一項各号に
定める裁判所が第一審の終局判決をした場合において当該訴訟
が同項の規定により他の裁判所の専属管轄に属するときを除く)
四 法定代理権、訴訟代理権又は代理人が訴訟行為をするのに必
要な授権を欠いたこと。
五 口頭弁論の公開の規定に違反したこと。
六 判決に理由を付せず、又は理由に食違いがあること。
高等裁判所にする上告は、判決に影響を及ぼすことが明らかな法
令の違反があることを理由とするときも、することができる。
第三百十六条
次の各号に該当することが明らかであるときは、原裁判所は、
決定で、上告を却下しなければならない。
一 上告が不適法でその不備を補正することができないとき。
二 前条第一項の規定に違反して上告理由書を提出せず、又は
上告の理由の記載が同条第二項の規定に違反しているとき。
前項の決定に対しては、即時抗告をすることができる。
確かこの部分は平成10年に改正されていたと思う。15人し
か裁判官がいない最高裁で、民事のこうした裁判を一つ一つ審理
していたら、裁判官は寝る暇がなくなる。だから、地裁や高裁か
ら送られてきた裁判記録を読んで、上告理由に当たらないとして
却下されたのだろう。おそらく弁護士は、これを原田に説明した
のだろうが、原田は上告することで「禊ぎ」が出来ると考えたの
か、それとも「冤罪」を主張するためのポーズとして上告の道を
選んだのか、どちらにしろ弁護士の指導を無視したのであれば、
原田にすべての責任があるのだろう。
それにしても、京都教区はこうした事態をどのように考えてい
たのか。「冤罪」を主張するために最高裁への上告を原田に勧め
たのか。だとしたら、京都教区は被害者に対する二次的三次的虐
待行為をしているように思える。そして、裁判も終わり、加害者
は慰謝料と裁判費用を支払い、教区は謝罪の記者会見を行い、加
害者を「陪餐停止」にした。だから、この事件は既に解決したと
思っている日本聖公会京都教区の信徒や他の教区の信徒がいても
不思議なことではない。京都教区は肝心なことを今まで秘匿して
きた。それは、被害者の側から出されている二つの要求をまった
く満たしていないことだ。
一、原田の復職が決定された経緯の詳細な報告
二、武藤主教及び古賀司祭の教育現場からの撤退
性的虐待行為に対する慰謝料請求裁判を起こされている司祭が
日本聖公会京都教区の常置委員長であり続け、日本聖公会管区の
総会代議員までしていた。このことに関しては、社会通念上から
も日本聖公会京都教区呼び日本聖公会管区はその責任を問われる
だろう。それとも、教区や管区は、被害者と加害者の双方の主張
を正式に聞いていたのか。「児童に対する性的虐待」の意味を、
日本聖公会京都教区や日本聖公会管区が知らないはずはあるまい。
すぐにでも京都教区と管区は審判廷を開廷し、この問題で判断
を誤った司祭らを処罰し、管区は主教を処罰すべきであるにも関
わらず、教区も管区もまったく正反対のことをしている。そして、
【キリスト教カルトを斬る】というブログに、「棄却を却下と訂
正しろ」というメッセージを送った者がいるらしいが、そんな暇
があったら、教区と管区を糾弾すべきだ。大事なことは、被害者
のPTSDをこれ以上進行させないことであり、PTSDの治療
に益となることを考えることだ。
下記のような掲載依頼がありました。
掲載可能な部分だけ掲載します。
他のブログ設置者のみなさんも、これをコピーして掲載して
いただければ幸いです。
* * * * * * * *
http://mehikosasaki.blog.shinobi.jp/
このブログはリンク禁止です。
但し「糾す会」のHPには掲載して構いません。
原則として、毎週金曜日、もしくは土曜日に書き込むつもりですが
体調等の理由により、掲載出来ない週もあるかと思います。
ご理解の程よろしくお願いいたします。
HN メヒコ佐々木
ここまできて、高地主教は何をしようとしているのか、巷から
は何も見えん。あれだけ「嘘八百」を並べておきながら、我等の
激怒が目に入らぬらしい。女子児童への性的虐待という理由で自
主退職した司祭を、今でも庇っている。
それでいて、被害者の家族との話し合いをしたという話はこの
一年、まったく耳にしていない。昨年の教区会で高地主教は「い
ずれにせよ、原田文雄元牧師が、真実に悔い改めて、被害者及び
関係者に心からの謝罪をし、被害者及び関係者が癒されることが
できますように、今後も教区を上げて働きかけるつもりです」と
文書で述べているにも拘わらず、被害者側に対する状況報告は行
われているのだろうか。
被害者は、日本聖公会京都教区の信徒だ。そしてその家族も同
じ教会の信徒だ。そして、京都教区の中には未だに、原田文雄司
祭の加害行為は、「被害者の妄想癖による虚言だ」と主張してい
る信徒がいるにも拘わらず、高地主教はそうした意見に対して、
何らの対応もしていないという。
あの「謝罪の記者会見」は何だったのか。加害者である原田文
雄司祭の加害行為を、事実として認定したのではなかったのか。
日本聖公会には何のために主教がいるのか。そもそも「主教」と
はどうあるべき聖職なのか。
鞍馬天狗が誰であるかは、彼自身が明らかにしてしまっている
が、高地主教は拙者らがどこの誰であるかは判るまい。桂は鞍馬
天狗を知っているらしいが、拙者らは鞍馬天狗に会ったことはな
い。勿論天狗も拙者達がどこの誰であるかは知らない。京都教区
には天狗を知っているのがいるようだが、見方が甘かったな。天
狗は右翼ではない。ただし、サヨクでもない。あの男は、裁判記
録をまた読みに来るといっている。京都へも行くそうだ。桂がそ
う言っていた。
天狗を右翼扱いした連中は、しっかりと肝を据えておけよ。あ
の男も、日本聖公会の裏を知っている。大阪万博の時に、聖公会
神学院で何があったかも知っている。その結果、聖公会神学院が
どうなったかも知っている。日本聖公会では、今までに現職の司
祭が何人か離脱しているが、そうしたこともすべて知っている。
そして、サヨク司祭が、狭山事件は例外として、一切の差別問題
に深く関わっていない理由も見抜いている。
日本聖公会の司祭達は、身を律して京都教区の問題に声を上げ
るべきだ。高地主教の嘘八百を見抜いて、糾弾すべきだ。
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